子供も手を離れてくると時間をもてあましてしまう。
根が出不精でのんびり屋で不器用な自分は、それでも不便は感じないけれど、専業生活が半年を経過すると(人が言うには)優雅な生活も色褪せて見える。
それが悪化すると自分は精神的にどこかおかしいのではないかと自己嫌悪に陥る。
さらに妄想を始めると、自分には根っ子が生えていて、ともすればこの部屋から出られない呪いでもかかっているのではないかといった錯覚を覚える。
昔プレイした恐怖ゲームにそれに近い内容のものがあった。
有名なシリーズもので、「サイレントヒル」というゲームの何作目だったか「the room」というタイトルだったような気がする。
主人公の部屋の外にモンスターが現れるといった内容だったと思う。最初のうちは外に出なければ危険はないけれど、終盤にさしかかってくると部屋の中にいてもダメージを受けていたような気がする。
上記連続で「ような気がする」で結んでいるのは記憶のみ頼りで調べもしない、本当に不精な私の性格を如実に表して「いる」。
まだこのように、自分の性格については言い切れる。自分自身をおぼろげに感じるほどはまだ心は弱っていないようだ。
書きながら少し安心した次第であるが。
履歴書はいつもPCで作成しているけど、つい手書き用も購入してしまう。
万一のことが気になるのだ。
それはもちろん、プリンターの問題。
自宅に家庭用複合機を所有しているが、必要な時に限って調子が悪いことがある。
そのため最近はネットワークプリントサービスを利用しているけれど、近所のコンビニのコピー機は意外と故障が多い。
そうでなくてもプリンターの不調や故障。
履歴書を印刷している途中で紙が詰まった時のことを考える。
そして結局そこまで考えるなら手書きのほうがいいのではないかという結論に行き当たる。
さらなる妄想ついでに履歴書の手書きと印刷についてどちらが相応しいのか考えてみた。
やはり、職種で決まるのだろうか。
仕事で手書きの機会が多ければ、そのほうが適性を見られる…とか?
これもあくまで想像だけど。
でも、現在機械入力をしない仕事を客視点で見ることはなかなかないような気もする。
レジ打ちから、ファミレスの注文。在庫の確認など。
だが、機械入力をしない仕事であっても、文字の美しさでその人の起用さや仕事への適性をはかれるかどうかは微妙な気がする。
ちなみに私は作業分野によって、丁寧さのレベルが変わるタイプだ。
基本的に不器用だけれど、手書き文字はたまに褒められる。ゆっくりかけば何となく綺麗な雰囲気のある文字を書けるらしい。
けれど、料理や掃除は本当に下手だ。自分自身の苦手意識が強いからだろうか。
しかし、良いこともある。
自分が不得意なことは、子供が不得意でも相手を責める気にならないことだ。
そのせいか、子供は家事を進んで手伝ってくれる。
夕飯時も、料理の載った皿を食卓に一度に2枚も運んでいった。
小学校中学年だが、当然のことなのだろうか?私は教えたことはない。
彼女自身が身に付けたことなのだなとしみじみと思った。
なぜなら自分は子供の頃、一枚ずつしか運べなかったから。
昔からの癖なのだが、どうにも指先が震えてしまって、落としそうな気がして慎重になってしまう。
大人になっても、職場でお茶を運ぶ時などは本当に恐怖の連続だった。
だが、娘はおそらくそうじゃないのだ。
私よりもずっと器用だ。ささいなことかもしれないけど、それだけでも将来の可能性はぐっと広がる。
私は何が得意なのかな。
応募しようと思っている仕事のひとつに、適性があったらそれ以上に望ましいことはないのだけれど。